NO.129
  棄てられた家 2022.11.5 01頁

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草原の棄てられた家
 その昔、中学生の頃から歌っていた唱歌『故郷の廃家』の「廃家」の意味がなかな実感がわかなかった(昭和30年頃は空き家なんてなかった)のですが、それから65年以上経って、山里を旅する度「廃家」が目につくようになりました。
 歌の中では故郷を離れる哀感、寂しさが繰り返し歌われていますがそれはあくまで故郷を出てゆく人間の感情です。遺された家、いや、棄てられた家の怨念とはどんなものでしょうか。
 『遠野物語』では、17話に「この家にも座敷ワラシの住めりということ、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり」とあります。続く18話には、旧家の山口孫左衛門家から二人の座敷ワラシが出てゆくことと、「さては孫左衛門の世が末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒にあたりて一日のうちに死に絶える」とあります。
 山の神の教えを敬い、昔からの言い伝えを守る生活風土が失われると、たとえ奢らなくても、お国のために尽くしても、時代の奔流に押し流されて、盛者必衰、諸行無常という厳しい現実が待っているのです。